空から見てみよう

日々感じた事のひとりごと

できれば楽しい経験だけをしたいが。

この世に生を受けて、何かよくわからないまま歩き出す。

親に育てられ、周りの影響を受けて大きくなる。

その途中で色々と辛い経験をする。

わざわざ自分から苦労を背負ったり、人に迷惑をかけられたり、また自分自身も未熟で人とぶつかったりしながらなんとか毎日生きていく。

時にはもうダメだと思ったりしながら、でも毎日生きていく。

へこたれながら、愚痴を言いながら、弱音を吐きながらでもなんとか毎日を生きていく。

そんな中で、たまに楽しい経験をする。人から優しくされる。生きてていい事もたまにはあるんだなと実感する。

生まれた時には白紙だった紙に色んな色が重ねられる。

もう何色なのかもわからないほどになってくる。

その色んな色がその人自身の色だ。

色んな色を重ねてきた人の言葉は重みがある。

人と重なる色を多く持っているから、人はその人に共感する。

共感する人も、これは頭で考えるのとは違って魂で感じるので人に理由を聞かれてもうまく説明できない。ただ、心がそうだと言っている。

逆に分からない人はその色を持っていないので、いくら説明しようがわからないものはわからない。

人生に於いて、辛い経験など誰もしたくない。でも、しないと人の心は分からない。寄り添えない。

これが真理だ。

 

散ってしまった桜

遅咲きの八重桜もほぼ散ってしまった。

桜並木を歩いていた時、ふと感じた事。

桜の花ひとつひとつは地味だが、一斉に咲いた瞬間の、そして、その桜が並木となってずっと続いている光景を見ると圧巻で、感動する。

言葉にならない。綺麗とかそういうものではない。

魂が揺さぶられるというのか。

 

以前、戦時中、ビルマに派遣され亡くなってしまった兵士の逸話をネットで見た。

その一兵士は亡くなる前に戦友に日本の桜が見たかったと言って亡くなったそうだ。

私はこの兵士の気持ちが痛いほどわかる。

 

それぞれがそれぞれの花を懸命に咲かせる。桜の咲いている枝はたどっていくと大きな幹につながっていて、大地に根をしっかりと生やしている。

 

日本人は全員がつながっている、ひとつの大きな桜の木だと思う。

ニュースで桜の開花宣言の報道をしたり、桜前線は今どのあたりか教えてくれたりする。

どれだけ桜の事が気になるのか(笑)。

そして、桜が咲いたら花見をし、寒かった冬を乗り越えた自分達をねぎらう。

 

そして、全力で花を咲かせて一斉に散ってゆく。

この切なさを理解しているのが、唯一無二の私たち、日本人なのだと思う。

盲目の少年

一人で散歩した帰り道、盲目の少年を見かけた。

彼は杖のようなもので前方付近を確かめながら、一人で歩いていた。

 

私はふと思った。私は一人で行こうと思えばどこでも行ける。

手も足も、ちゃんと前を見る事のできる目も、ちゃんと聞こえる耳もある。

彼には見えない世界しかないのだ。

私には想像がつかない。

しばらく様子を見ていたが、彼は時々ぶつかったりしながら、でも、着実に歩いていた。

驚いたのは、彼からは全く恐れを感じなかった事だ。

彼は怖くないのだろうか。私なら、多分引きこもりになってしまうだろう。

彼はなんと強いのだろう。

なんか見ていると涙が出てきた。

 

とても怖がりの私に勇気をくれた気がした。

人に勇気を与える人ってすごい。

幾度の試練

東北でまた大きな地震があった。

日本は地震大国で昔から地震の被害は多い。

 

ただ、自分が思うのは東北地方というのはただでさえ寒冷気候で辛い冬があるのに、何故、その上、地震や津波や、まして原子力発電の被害まで被らなければならないのか?

何故なのか?

何故、東北の人々がこれほど辛い目に遭わないといけないのか?

壊れても壊れてもなんとか立ち上がり、笑顔を取り戻す東北の皆さんを見ていると、けなげで涙が出る。

尊敬に値する。心が折れそうになる事も多々だろう。

 

毎年、3.11を迎える度に思い出さざるを得ない、辛い思い出。

家族を一瞬にして亡くされた方々の辛さを思うと言葉にならない。

自分の中で疑問は解けないが、東北の皆さんの心の傷が一日でも早く癒されますように。

お亡くなりになった方に心から冥福をお祈り申し上げます。

視点を変える

私は毎朝ヨガをしている。

今日ヨガをしていて気づいた事。

よく、スピリチュアルの本を読んでいると、”視点を変えると人生が変わってきます”などと書いてある。

まあそうだろうなとは思うが、何か経験をしたのち視点が変わるとか、一歩成長すると視点が変ったり、また年を取ると視点が変ったりするのは分かる。

 

が、今朝ヨガのポーズによって同じ位置に立っているのに、最初の動作は右向き、次の動作は左向きとなった時、はっ!こういう事かと思った。

自分は同じ位置に立っている。その同じ位置で右を向くと右の景色が、左を向くと左の景色が現れる。

同じ位置にいても、視点を変えると目に見えるものが変ってくるとはこういう事かと心から理解した。まさに腑に落ちたという瞬間だった。

見たい方を意識して見ていれば、立ち位置は同じでもいずれは別のルートになっていくのだ。

なんでわざわざ見たくない方を見続けるのか。素直に見たい方を向けばよいのだ。

チャンネルを合わせるように。

見たくないチャンネルを変えて見たいチャンネルに合わせる。ただそれだけ。

全力でふざける

もしかして、神は全力でふざける事が好きなのではないか?

全力でふざけている動画を見て、大笑いした。

ものすごく気が軽くなった。

神はこういう事を望んでいるのではないか?

 

些細な事に眉間にしわを寄せて深刻に悩む。

もしかしたら、すべてほとんどの事がどうでもいいような事なのでは?

大笑いして終わりでよいのでは?

うまく言葉では言い表せないが、そんなイメージが浮かんだ。

多分、神自体全力でふざけているのだ(笑)。