空から見てみよう

日々感じた事のひとりごと

真実の道を生きる

今朝瞑想をしていたらイメージが浮かんだ。

自分はひとりで道を歩いてる。前にも後ろにも人はいない。

ただひろい草原をひとりで歩いている。

とても孤独だ。

でも、前を見て歩く。

ふと横を向くと、そこにはひとりで歩いているひとがいる。

その人の道だ。

違う方向を見てみる。

そこにもひとりで歩いている人がいる。

私の歩いている道にはだれもいないけど、横には別の道があり、そこを歩いている人がいた。

私はその人に微笑みかける。その人も私を見て微笑み返す。

そうか。みんなそれぞれの道を歩いていて孤独なんだ。

私だけが孤独ではないんだ。

時々横を見てそれぞれ頑張って歩いている人と微笑みを交わし、励まし合えば良いのだ。

私は私で自分が信じる真実の道をこのまま歩き続ければいい。

そう思うと、心がほっとした。

地味な存在が…。

今までの時代は"時は金なり"だった。

これからの時代は"時はアートなり"に変化していくらしい。

 

今までは真昼間で燦燦と太陽が輝き、その時代にあった人達が主役であった。

その時代にはまるで目立たなかった星たち。でも、確かに存在していた。

夜のとばりが降りて暗くなってきた時に、それまで目に見えなかった星たちが輝き出す。

今までも存在していたけど、目には映らなかった美しい星たち。

暗くてどうしようもないこの世界を星たちが自ら輝いて回りを照らし出す。

やがて、夜が明けてまたもとの明るい世界に戻るまで。

星たちは光が見えなくなったこの世界を頑張って照らし続け、人々を元気づける。

それまでどうか希望を捨てずに一歩ずつ歩いて行こう。

 

ピュアな魂

このところ立て続けに起こった事。

自宅から外に出て2,3歩歩き出した時、ふいに横にハミングバードが飛んでいるのが見えた。

そっとそこを動かないようにしてしばらく見ていると鳥はすぐに私の真横まで寄ってきて、本当に羽ばたく音が聞こえる程までに目の前に来てくれた。

たまにバルコニーに飛んでくるのを見た事はあるけど、ここまで近くに来てくれたのは初めてだ。

胸元がキラキラしたピンクですごく美しかった。

しばらくお互い見つめ合った(笑)。

その後、外出した後コーヒーでも飲もうかなとコーヒーショップをウインドウ越しに覗いてみたら、ものすごく混んでいた。

次回にするかと一瞬思った時、カウンター席に座っていた家族連れの2、3歳男児が思いっきり私に手を振った。

それも、あたかも知ってる人にするみたいに、ここ席開いてるよとでも言いたげなその子を見て微笑ましくなり私もガラス越しに手を振った。

そして、また先日の事。

買い物に行き、その店の前に若いお母さんと子供がいて私と同じようにそのお店に入ろうとしていた。

その子供もやはり多分2、3歳くらいの男の子。一瞬目が合って澄んだ目がとてもきれいで思わずじっと見てしまった。

男の子も私をじっと見た。

その後店内をうろうろしている間も何度かその子とすれ違った。

その都度私はその子の事から目が離せなくて、でも、お母さんの手前あまりじっと見るのも変な人と思われると思い、こっそりその子を見ていた。

男の子も私の方を見てくれた。

買い物が終わり、お店を出ようとしたとき、ちょうど棚の死角になっているところに男の子が立っていて、あっここにいたと思ってまた目が合った。

その時男の子がとても控えめに私に手を振ってくれた!

この時の私の気持ちは何と言えばいいのだろう。

なんか男の子と私はテレパシーで通じていたような気になった。

本当に可愛い子だった。

最近立て続けにあるこの出来事は偶然ではないような気がする。

かと言って何なのだと聞かれても答えられないのだが。

心が芯から温かくなる経験だった。

有るのは難い

世界中に起きているこの状況下、ともすると希望を失いそうになる毎日。

どうやって乗り越えていけば良いのだろう。

不安な情報が嫌でも耳に入ってくる。

少しでも気分を変えようと動画を見る。

 

すると、世の中には人を不安にさせる人ばかりではなく、元気づけようとしてくれる人も多くいるのだという事を思い出し、温かい気持ちがよみがえってくる。

 

思い切り笑う、音楽に癒される、動画内で仲良くしている人達を見て自分も仲間になったような気がして気持ちが緩む。

遠く離れた土地にいながら日本を感じる事ができる有難さ。

ほんの少し前までは考えられなかった事だ。

 

動画を見る事が出来る環境があってよかった。そして、そういうものを提供してくれる媒体、提供して下さる方々がいて本当に心から有難いと思う。

もし、こういう物がなかったら私はどうなっていたのだろう。

多分、行き場をなくした悲しみや孤独感でおかしくなっていただろうと思う。

 

更に言うと、例えば、蛇口をひねれば飲むことのできる綺麗な水が出てくるのも当たり前ではない。温かいお湯も出てくる。

東南アジアを旅行した際は、飲み水は買わなければならなかった。

シャワーからは茶色の水が出てきた(笑)。

タクシーも遠回りしたり、運転手が自分の用事がある場所に突然立ち寄ったりする。意味がわからない。

こういう経験をすると、当たり前のサービス、清潔さを保っている日本の暮らしは当たり前ではないと実感する。

美味しい食事を信じられない低価格で食べる事ができ、どこでも当たり前に買い物をしたら丁寧に有難うございましたと言ってくれる上に、お辞儀までしてくれる。

 

日本を出た事がない人は多分想像もできないであろう。

自分はひどいサービスを受けたり、おつりを投げられたりした経験をした。

もちろん笑顔も有難うもない。

そんな経験をすると日本の店員さんのサービスはいかに素晴らしいのだと思う。

なので、店員さんには心を込めて有難うと言う。

たまに、店員さんの方が(あまり言われた事がないからだろう)こっちが有難うと言うとびっくりしたりする(笑)。なんと可愛いのだ!

 

日本を離れてみてわかる日本の素晴らしさ。

これはひとえに自分が海外で生活して当たり前の事が当たり前でないと気付かせてもらったからなのだ。

その経験した時点では辛いけど、後からああ、そういう事だったのかと気付く。

苦い経験とは自分を成長させるためのステップなのだ。

日本を離れて良かった。日本国の素晴らしさに気付かせてもらって良かった。

そのまま日本にいたのでは一生気付かなかっただろう。

それどころか文句を言っていただろう。

 

人生に於いて、苦い経験とその後いかに自分が恵まれているのかという気付きはワンセットなのだ。

愛を思い出す

どうして人はわざわざ自分を傷つける事をしたり、体に悪いとわかっているものを取り入れたりするのだろうと疑問に思っていた。(自分も含め)。

頭ではやめたいと思っていても、心では何か代わりのものを欲しているからやめられない。

 

小さな頃からダメだダメだと言われ続け、見せかけの愛情で育てられ、何かがおかしいと思うのだが、言葉に表す事ができない。

大人になっても空洞のままだ。

心の奥底では気づいている。それを埋める何かが欲しいのだ。

しかしながら、代用品では永遠にそれは得られない。ただただバランスを崩すのみだ。

 

自分が自分とつながっていないのだ。

自分が自分とつながっていないと、愛の源とつながれない。

 

自分でそれを拒否しているから(無意識に)、そこにあるのにつながる事ができないのだ。

自分が自分とつながった瞬間、自分も源から分かれた一部であるので一瞬にして愛の源とつながる事ができる。

愛にふれた瞬間涙が出るのはあなたの心が愛がそこにあるのを思い出したからなのだ。

どれだけの人が愛を知らずに、正確に言えば、愛を忘れて生きてきたのだろう。

逆に言えば、愛を伝える人が一人でも増えれば、この世は一瞬にして天国になるだろう。

何度忘れてもいい。思い出しさえすればいいのだ。

そこにいつでもあるのだから。

 

ゴミは受け取らない

もしかしたら、みんなゴミを受け取ってばかりいないか?

知らず知らず人から投げられるゴミを受け取り、自分自身がそのゴミを抱えてしまい、暗い気持ちになる。

 

ゴミを出したのはあなたではないのに。

自分が出したゴミは自分で処理しよう。

人に投げるのはやめよう。

投げられたらスルーして、一旦よける。

そして、できれば愛の塊を投げ返す。

 

これには練習が必要だと思うが、続けていれば必ずできるようになると思う。

受け取り拒否してよいのだ。