父の入院先を毎日訪ねていた頃の忘れられない出来事。
ある日、またいつものように病室に入ると父は私に話しかけてきた。
父は私の事を娘とは理解しておらず、病院のスタッフだと思っていた。
いつもおおきにな。名前なんやったっけ?
〇〇です。 父はえっ?おっちゃんと同じ名字やな、偶然やなと言った。
ここまでは毎回のターン。
この日は珍しく下の名前は?と聞いてきた。
〇子ですと言うと父は不思議そうな顔をして、おっちゃんの娘とおなじや。苗字も同じ、名前も同じか?家はどこや?
〇〇市です(私の実家の市)と言うと、父はものすごく困惑して、そんな訳ないわと言った。
そこで私は一瞬迷ったが、私はお父さんの娘の〇子やでと言った。
言った瞬間何故か涙が出そうになった。
すると、父は私の顔をまじまじと見てこう言った。
ちゃうわ!おっちゃんの娘はもっと若くてほっそりしとる。あんたみたいなまんまるやない と(笑)。
父の記憶にはまだ若かった頃の私がそのまま存在していて、それが父にとっての娘だった。そこで記憶が止まっているのだ。
私はなんだかちょっとなごんだ。
父は唐突に昔の事を話したくなったようで、子供の頃の思い出話を語った。
その後、祖父の名前から一文字とって私の名前をつけた事を語り出した。
父は、おやじに名前を知らせた時、すごく喜んでくれてなぁ、と何回も私に言った。
私がお父さんのお父さん嬉しかったんやねと言うと、そうや、あんなに嬉しそうなおやじの顔見た事なかったわと言った。その話を何回もした。
お父さん、親孝行したねと言ったら嬉しそうに笑った。
私は父にお父さん(病院のスタッフの方も父の事をお父さんと呼んでおり私がお父さんと呼んでも違和感ないままだった)娘さんは時々会いに来てくれるの?と他人のフリをして聞いてみた。
「あいつは遠くに行ってしまった。」と父が言った。
「どこに行ったん?」と聞くと、遠いところやとだけ答えた。
私はなんとなく「お父さん、娘さんに会いに行ってみたら」と言ってみた。
父は「無理や、行かれへん。あいつは遠い遠いところに行ってもうたんや」と言った。
私は心の中でお父さん今娘は目の前におるでと思った。
そして、父が突然「大丈夫かな~」と言った。私が何が?と聞くと、また大丈夫かな~と言った。
「お父さん何かを心配してるの?」と聞くと、また「大丈夫かな~」と言った。
そこで、私はハッとした。もしかしたら、父は遠くに行ってしまった娘の事を心配してるのか!
お父さん、「娘さんの事が心配なん?」と聞いてみた。
でも、父は只々大丈夫かなと繰り返すのみだった。私は「娘さんは元気にしてるよ、お父さんに会いたいと思ってるよ」と言いながら、涙が止まらなかった。
父は私の事を心配してくれていた。そして、もう会えないと思っているのだ…。
私は涙が止まらなかったので、病室を出た。
そこで看護師さんが心配して声を掛けてくれた。その優しさにまた号泣した。
私は父がどういう感情でいたのかは知らなかった。こんなにも心配してくれていた。
その親心を思うと涙が止まらない。
私は父に親孝行できなかった。心配を掛けてしまった。
子供の頃、父は私にこう言った事がある。
おまえら(子供たち)が笑ってるのを見るとお父さんもほんまに嬉しいんや。
お父さん、ほんのひとときでもお父さんが幸せだと思える事があって本当に良かった。
私はこうやって時々お父さんの事を思い出しながら、できるだけ笑顔で生きていくよ。