父は絵が得意だった。居間に父の油絵が掛けてあった。
写真を撮るのも、洋画、洋楽も好き、詩を書くのも好きだった。
時計は自分の好きな物をずっとつけていた。こだわりがあったようだ。
とにかく美しいものを大切にしていた。
父は物を大切にする人だった。
人から頂いたもの、包装紙をテープからまず丁寧にはがし、やぶる事なく時間をかけて開ける。その後、包装紙は丁寧に折り畳み、リボンも結んで一緒にとっておく。その所作が美しかった。
安っぽい物は好まず、自分の目にかなったものを選びそれをとても大切に使い、修理をし、磨いては使った。
私が子供の頃、百人一首をよくやった記憶がある。子供用のかるたとかでいいのに、難しい和歌の百人一首を私たちに教えたかったのだ。
難しかったけど、何度も何度も繰り返しやって、子供ながらに和歌の美しさは感じる事ができた。
そうして私も大人になり、百人一首の事など普段思い出す事もなかったが、たまたま、職場の人と雑談をしている時に百人一首の話になった。
有名な一首のひとつである田子の浦~という上の句を誰かが言ったその瞬間、唐突に涙が出たのだ。
幼き頃、一生懸命覚えた句とその頃の思い出がリンクしていたのだろう。
その頃の情景が一瞬で脳裏に浮かんだ。
幼い頃の記憶とは不思議なものだ。
そして、子供の頃はわからなかった父の人間としての深さみたいなものを本当に今になって心から感じる。
すべてが丁寧なのだ。アルバムも丁寧に写真の横に説明やイラストを描き、その人の思い出も書いてあったりした。時には詩も書かれていた。
私を撮ってくれた写真もちゃんとアルバムに丁寧に貼ってくれて、その横には父の自筆で”〇〇の思い出”と書かれ、アートみたいに写真と父の絵が合成されたものもあった。
ばかな私はその時、父がどれほどの愛情を与えてくれていたか気付いていなかったのだ。
父は 生き方は不器用だったけど、すべてに心がこもっていた。